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経営者、ビジネスリーダーへの登竜門でもある戦略系コンサルティングファーム。
今回は、世界TopクラスのマネジメントコンサルティングファームであるA.T. カーニー社のパートナー野田氏に『リーディング企業が選ぶ経営コンサルティングとは?』というコンセプトでインタビューにご協力頂きました。
2006年初にMBOされましたが、その前後ではどういった変化がありましたか。
当たり前ですが、我々自身で決められることが増え、経営の自由度が非常に拡がりました。
ビジネスプランについても我々が考えたものが反映できる。成長分野に対しても投資ができる。
我々でいうところの投資とは、人材をどう採っていくか、ということなのですが、その点についてもかなりフレキシビリティを持ってできるようになりましたので、成長が加速していっている状況です。
日本での展開や方向性、採用計画について、お話いただけますか。
日本のコンサルティング市場は拡大していくと読んでいます。その中である一定の存在感を示していくために、我々自身も大きくなっていく必要があります。また、コンサルティングに期待されるテーマも専門化してくると考えていますので、規模を拡大しながら、同時に専門性も高めていきたいと思っています。
この規模の拡大と専門性を高めるというのは、コンサルティングファームにとって両輪みたいなもので、当然、規模が大きくないと多様な人材というものを受け止められません。そういう意味でも、この2つをバランスよく回していきたいと思っています。
具体的なプランとしては、緩やかに拡大をすることを目指しています。
野田さんのバックグラウンドの概要を教えていただけますか。
1986年に東京大学工学部を卒業、1988年に同大学院を修了しました。大学では、つり橋、橋梁を専門に研究していました。プロジェクトXのような現場に憧れ、「何か形あるもの、大きなものを世の中に残したい」、「できれば、グローバルに活躍したい」と考え、ゼネコンに入社しました。コンサルティングファームでは異色のバックグラウンドだと思います。エンジニアとしての経験の中で、技術だけで全てが決まるということではなく、経営の勉強もしたいと考え、企業派遣という形でビジネススクールに留学しました。留学先は(ペンシルバニア大学)ウォートンで、93年に卒業しました。最初はビジネスの勉強の経験がない状態だったので、かなり苦労をしました。逆に頑張り過ぎたこともあって、成績は非常に良く、上位で表彰されるに至りました。
その後、一旦ゼネコンに戻り、海外不動産の開発やバブルが終わった後の精算やプロジェクトファイナンスを取り付ける等といった業務に携わっていました。
その後、なぜコンサルティングファームに転じたのでしょうか。
具体的な契機は、1995年1月の阪神大震災でした。災害復旧部隊として企業から神戸に乗り込んで、そこでありとあらゆることを解決していかなければいけないという技術者冥利に尽きる経験をしました。ただこれらの経験、平時に大きな判断をするということが、若手の技術者ではできない、というある意味、技術者の限界を感じました。そうではない世界もあるのではないかと考え、ビジネススクールで学んだような経営判断、経営戦略といった分野を専門的にやっていきたいと思い、1995年10月にA.T.カーニーに入社しました。
その際、戦略系コンサルティングファームを検討され、その中でA.T.カーニーを選択された背景はどのようなものだったのでしょうか。
私の志向として、目に見えるものを創り出して社会にインパクトを与えたいと考えていたところ、それにフィットするカルチャーを持っていたのがA.T.カーニーでした。95年当時にコンサルティングファームで「Tangible Result」と謳っていたのはA.T.カーニーだけ。選考でも多数のコンサルタントと面接があり、概念的な方向性に加えて、こんな人たちと仕事ができるんだということも理解できたので、A.T.カーニーと私の相性が確認できました。
採用活動の中で候補者の方にも申し上げているのですが、コンサルティングファームは大きなところでも100~300名程度で、実際にはプロジェクト単位で4、5名程度のメンバーと常に顔をあわせなくてはいけない状況。すごく人間関係が濃密で、ある意味では日本企業よりも濃いかもしれません。3、4ヶ月のプロジェクトの間、濃い人間関係の中で仕事をすることになりますので、面接の中で得られる面接官との相性は結構大事なポイントだと思います。
人間関係の濃さ以外に入社前に想定していなかった点はありましたか。
自分はそれまでサラリーマン組織の中にいたことを強く気付かされました。コンサルティングファームというのは、基本的には自分でイニシアチブを取ることが求められている、プロアクティブな態度が常に求められている環境です。今振り返ると、日本企業というのはどちらかというと、仕事はどんどん降ってくる、と。今でも私はサラリーマンということには変わりはないのですが、そこでの意識の持ち方には、かなり転換が求められました。
エンジニアからコンサルタントに転進されて、活かされたスキルはありましたか。
基本的には建設業界のエンジニアリングという経験だったので、直接的にコンサルティングのプロジェクトに活かすことができる経験はほとんどありません。とは言いながらも、私の力になっているなと思う部分もあります。
設計エンジニアは、構造物を生み出します。生み出す過程では、詳細な分析をすると共に、全体的なバランスの中で、大きな災害がきても耐えうるものなのかというかということを判断していく。理論的に詳細なスタディをする一方で、今まで世の中にあるものと比べて、これがどのような位置付けにあるのかという比較をしていきながら、現実性をチェックしていく。そういうミクロとマクロがエンジニアリングの世界で問われていたと思うのですが、コンサルティングも同じです。非常に緻密なロジックの構成、というものと、その先にある最終的な提案というものが、クライアントにとって本当に機能するのかどうか、ということ。全体感とディテール、そういった部分が似ており、活かされているのではないかと思います。
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